吹原 幾代
(ふきはら いくよ)

兵庫県神戸市東灘区
2008年1月再開設
(2004年9月開設)

テューターになる前はどんなお仕事をしていましたか?

 大学卒業当時はバブルのころ,私は,大手損害保険会社に入社,官公庁などを主な客先とした営業補佐業務をしていました。残業なども当たり前な時代でしたが,仕事も職場環境もお給料も充実していましたので,朝から夜遅くまで働いても苦とも思いませんでした。ですが,社内結婚を機にわずか4年で寿退社し,専業主婦になりました。間もなく3人の子どもに恵まれ,絵本や食に興味をもち,読み聞かせや生産者交流など地域ボランティアをしながら,子育てにいそしむ毎日でした。

テューターになったきっかけを教えてください。

 「ラボ・パーティ」という名前すら知らなかったある日,お友だちに誘われて,年長の長女の習い事にと,茨城県土浦市で体験教室に参加しました。絵本〈ラボ・ライブラリー(英語・日本語で録音されたラボの物語や歌の教材)〉とすてきな仲間〈年齢の異なる縦長グループのメンバー〉がいる環境にふれ,学校教育だけでは補えない大切な心の学びの要素がここにある! と直感的にビビっと来ました。ですが間もなく,夫の転勤により大阪府豊中市へ転居が決まったため,その時はラボを始めることはできませんでした。
 転居先で,また一から新たな生活を始めていたところ,ここでもお友だちの勧めで,偶然にもラボと再会しました。そこで「やっぱりいいものはいい」と再確認し,「子育ての軸」にラボを考えるようになり,迷わず,わが子3人をラボ・パーティに通わせることにしました。転勤族でしたので,ラボ・パーティが全国にあるのも嬉しい限り。どこへ行こうとも,物語と共にある仲間たちとの活動は,わが子らの心の拠り所になっていきました。
 その後,再び転勤で熊本県玉名市に転居した時,引っ越し先の新しい環境でも,たくましく前を向いて頑張るわが子たちを見ているうちに,「私も何か新しいことを始めたい,始めなくちゃ」と勇気をもらいました。そこで,末っ子が小学生になったのを機に一念発起,博多のテューター・スクールへ通い始めました。大学時代に教育学部で学んでいたこともあり,子どもたちの元気の源であるラボ・メソッドに大いに興味をもったのでした。
 その後,わが子3人を含む5人でパーティ(教室)を開設しました。ですが,徐々に軌道にのってきた矢先,またもや夫の転勤辞令により仲間との突然の別れを余儀なくされました。浮き草のようなやり場のない淋しさに,「やっぱり無理なのかな」とテューター継続をいったんあきらめ,元の会社の事務職に復帰した時期もありました。ところが,思いがけないご縁に恵まれ,想いは再燃,ここふるさと神戸でパーティを再開設することになりました。
 あの時の嬉しさと緊張感が,ついこのあいだのことのように思い出されますが,気付けば,はや15年!? わが子らは成人しましたが,吹原パーティは,今も! かけがえのない大切な仲間たちと進化を続けています。

普段はどのような活動をしていますか?

 現在,3歳から高校2年生までの子どもたちが,小グループに分かれて活動しています。
 ちびっ子ばかりのグループ,幅広い年代の縦長グループ,小人数グループなど,構成も様々です。忙しいライフスタイルの現代の子どもたちが,一堂に会するのはなかなか容易なことではありませんが,ラボ・ライブラリーの物語や詩や歌が,グループを越えて,みんなの心をつないでくれます。
 コロナ禍で,会えない悲しさも実感しました。当たり前に会えていた人に会えなくなるという現実が,実に様々なことを私たちに教えてくれました。当初は,オンラインでも顔を映してつながれることが嬉しかったのですが,次第にそれが日常になると,いくら回を重ねても,子どもたちの心からの笑顔や前向きな活力はだんだん見られなくなっていきました。しばらくして,感染防止に十分注意したうえで,みんなで集まり,実際に顔を見てコミュニケーションをとりながらクラスができるようになると,自然に笑いや活気が漲り,表情もみるみる明るくなっていくのがマスク越しでもわかりました。子どもたちの元気の源はやはり対面での交流にあると確信しました。
 現在も,検温・マスク着用・手洗い・うがい・消毒・換気など感染防止に最大限の注意をはらい,いろいろな制約を感じながら活動していますが,こうやってでも「できる」ということへの喜びと感謝が止まりません。「こんな時こそ,仲間と会える時間を大切に新しくステップアップできることに挑戦していこう」と心に決め,「たとえ先が見えない不安はあっても,みんなで心を合わせてチャレンジする過程にこそ大きな意義がある」と信じ,次の大きな発表会に向かって活動を進めています(2020年10月現在)。

テューターになってよかったこと,
たいへんなことはなんですか?

 子どもの何気ないサインや小さな変化をキャッチして,それにより添いサポートする過程で,その子が自分で乗り越える瞬間に立ち会えた時は,本当に嬉しいです。
 学校の先生などに比べ,はるかに長く深く子どもたちの成長に関わるので,そばで成長を見守っていけるテューターは本当に役得だと思います。「あんなにちっちゃかったのに,こんなに逞しく成長して……」と,折に触れて喜びをかみしめています。
 また2017年には,国際交流(北米ホームステイ交流)に旅立つ子どもたちの引率者として,アメリカのウィスコンシン州で,私自身もホームステイをしたのですが,これは,ラボ・テューターだからこそできた貴重な体験でした。ラボの北米ホームステイ交流では,日本の中学生から高校生(主に中学生)の子どもが,ひとりで同年代の子どものいるアメリカのご家庭に入り,1か月もの間,家族の一員として生活をします。日本の家族の元から遠く離れたアメリカで,ホストやホストファミリーにとけこもうと,自分の力で必死にもがき奮闘する子どもたちの姿には,何度も何度も心打たれました。あれから3年たった今でも,大切な記憶として鮮明に思い出すことができます。そして私自身,この年齢になってひと月も海外で暮らすチャンスがあるとは思いもしませんでしたし,その結果,アメリカにもうひとつのかけがえのない家族ができ,今でも交流が続いていることは大きな喜びです。
 たいへんなことは,上にも書いたように,子どもたちと長くかかわるラボ・テューターとしての役割は,どれも重要であるということ。ですが,だからこそ得られる達成感や充実感も大きいので,結果的に,テューター(私)自身が人として大きく成長させてもらっているのかもしれません。

これからラボでしていきたいこと,夢はなんですか?

 子どもたちに私が心から願っているのは,相手の言葉に耳を傾け,様々な価値観を受け入れつつも自分の考えをしっかり発言できる,強くて優しい大人に成長していってほしいということ。
 そんな願いから,子どもたちが異なる文化や価値観を持つ人の中でも活発にコミュニケーションしていけるよう,これからも活動していきたいと思います。
 将来,ラボで育った子どもたちが,言語や文化に縛られず,国や肌の色にもとらわれず,希望に満ちた優しい世界を切り拓いていってくれることを夢見て。

どんな方にラボ・テューターをお勧めしたいですか?

 多様性への理解が求められる今の時代,いろいろなことを,まずは素直に柔軟に,広い心で受け止められる方にお勧めします。他の適性は,やる気と情熱さえあれば後からでも獲得できます。
 そしてそんな気持ちがあれば,転勤をともなうご家庭であっても,私のようにテューターを続けることはできます。ぜひ,ラボ・テューターの仲間になってみませんか?